第2回紋別ぴよぴよ会・イオン紋別店

セントラルホテルをあとにして,イオン紋別店に向かいます.

 

 

昨夜,靴底の爆炸裂という憂き目に会った靴を履き抱えながら,紋別の海岸段丘を登ります.

 

 

黄色のところがホテルからイオンの道のりです.水色の線が2本ありますが,オンネナイ川の本流と支流の1つです.この支流は埋められてしまっていて,現在では見えませんが,かつて川だったところ区間の一部が道路になっていたりすることから,大体の流路は推定できます.イオン紋別店は,この支流の川辺に作られたものですが,60年代の衛星写真では,家があまり建っておらず,利用しにくい土地だったことが伺えます.このような土地に盛り土をして,駐車場としたようです.

 

 

 

歩きます.

 

 

気温は別に高くないのに,湿度が高くて汗が全然乾きません.服がびしゃびしゃになります.

 

 

総合福祉センターが見えます.

 

地域福祉の向上と、人間性豊かな地域社会の形成のため、福祉活動の拠点施設として紋別市総合福祉センター「はーとぴあ21」が平成一三年(二〇〇一)一〇月に完成し、一二月に開設された。敷地面積二五二八・五五平方メートル、建物延べ面積一四二三・九〇平方メートル、鉄筋コンクリート造り、地下一階地上二階建で、総建築費は六億一六八万円であった。

『新修紋別市史』 p.943

 

割と新しい建物のようです.

 

竣工と同時に、市民集会所(旧郵便局)を活動の拠点としていた社会福祉協議会の事務所が移転、施設の管理委託を受けるとともに、町内会連絡協議会、身体障害者福祉協会、老人クラブ連合会、民生児童委員連絡協議会、ボランティア団体などの総合的な活動推進の場として活用され、施設の設置目的に沿って、各種の相談業務やデイサービス活動や学習活動の場としても利用されている。一八年四月には社会福祉協議会(大坪芳雄会長)が、指定管理者制度の導入によって、一定額の委託料を受けて管理運営に当たることになった。期限は二一年三月末までである。

「はーとぴあ21」の呼称は、「思いやりのある理想郷の実現に向けて、21世紀の地域福祉実現の施設であってほしい」という願いが込められており、「ハート&ユートピア」の言葉を組み合わせでもある。(原文ママ,「組み合わせたものでもある」などが正しい)

『新修紋別市史』 pp.943~944

 

いろんな社会福祉のあつまりが入る建物のようです.紋別市は高齢者が多い街なので,こういう施設が有効に活用されていそうです.

 

ちなみに,この紋別市社会福祉協議会ツイッターアカウントがあるのですが,今行くとこんな感じになってるみたいです.

 

 

オンネナイ川支流の縁です.

 

 

イオンはもうすぐです.

 

 

北海道は割と信号が縦になっています.岐阜県関ヶ原町でもこんな感じになっているのですが,雪がたくさん降る地域だと,信号を縦にしておかないと,雪の重みで信号機が倒れてしまう危険があります.

 

 

開店間もないのに車がたくさんとまっています.従業員のものが多いのかもしれません.

 

 

紋別山が見たいならイオンはおすすめです.

 

 

イオンに来ました.服屋に靴が売ってるらしくて,服屋は9:00開店ということでした.着いたときは9時になる数分前だったので,食料品売り場などを歩いていました.

 

9時になったので,服の売っているところに行ったのですが,靴がどこに売ってるのかよくわかりません.なんとか靴が積まれているところを見つけたので,それらしい靴を探すのですが,一番大きい靴が26.0cmで,ちょっと小さいです.

 

紋別の人は足が小さいという可能性について考えいたんですが,どうも女性用の靴売り場だったらしく,人が少なかったからよかったんですが,趣味が悪い20代男性になる可能性がありました.

 

男性用の靴が売っている場所は,比較的奥の方にありました.手前が女性向け,奥が男性向けというようにする配置になっていたんですが,イオン力が足りないので難しいと思います.

 

26.5cm~27.0cmぐらいの靴で,なんか歩きやすそうなやつを探す必要があるのですが,靴がたくさんあってよくわかりません.よくわからんので,いい感じに通路側においてあった靴をレジに持っていきました.nymwaさんも実は靴を買ったことがあるので,靴は並んでいるやつではなく,下の方にある箱をレジに持っていくという知識はありました.適当に26.5cmの靴を持っていったら,なんか明るい感じの色の靴でした.

 

 

たかいね.

 

 

中学の時から履いていた靴なんですが,このあとゴミになります.比較的長距離歩く場合は,割とこの靴を履いていて,前回紋別に来たときもこの靴を履いていました.写真ではイオン紋別店の駐車場に捨てられているかのように誤解される可能性がありますが,ちゃんとセントラルホテルに捨てました.

 

 

紋別の室内,冷房をつけるという概念が存在するのか怪しくて,すごく暑いです.

 

 

ダサくて赤いと民社っぽくなります.

 

 

オンネナイ川の支流があったと思われる場所のあたりを下りていきます.

 

 

メモリアル通りです.名寄本線が通っていたということは道の形からしかわかりません.

 

 

川が流れていた場所の道というのは形を見ればなんとなく,そんな感じがするわけですが,オンネナイ川の支流が流れていたのがわかりやすい道ですね.

 

 

現在,牛肉レポーターの仕事は息子が世襲したようですが,古いポスターの跡がまだ残っていました.息子の方は農林水産副大臣を務めるなど,着実に牛肉レポーターへと近づいているものと見えます.

 

 

ホタテ落ちすぎ.

 

ホタテの増養殖技術が確立したことで生産量が増加し、平成五年以降は年間三〜四万トンのホタテ貝が紋別港に水揚げされている。このうち約五割の一万五〇〇〇〜二万トンが貝殻で排出される。

貝殻は昭和五〇年(一九七五)代まで、南が丘町七丁目の市営ごみ捨て場、あるいはその後移転した渚滑川旧河川敷のごみ捨て場にウロとともに投棄されてきたが、一部は瀬戸内海のカキ養殖事業に使われ、市内の海岸などでは、貝殻に穴をあけ、針金で数珠つなぎにする作業風景がよく見かけられた。

瀬戸内海向けの貝殻はその後、ばらで移出されるようになり、出荷量も増加して年間六〇〇〇トン前後が広島市の買付業者によって紋別港から船輸出されている。現地では、垂下式採苗器として海中に沈め、カキ貝の幼生を付着させるが、養殖ホタテ貝にくらべ、外海に地まきしている紋別地方のホタテは、荒い海流や砂地の摩擦などで貝殻の表面がすべすべして幼生の付着率がよいため引き合いが多く、平成一八年(二〇〇六)には、韓国にもカキ養殖用として二五〇〇トンが紋別港から輸出された。広島地方では、紋別産の貝殻はカキ養殖以外に土壌改良剤にも加工されている。

このほか市内では、民間の新生産業(渚滑町川向)が年間約一〇〇〇トンの貝殻を土壌改良剤に粉砕加工している。残りは紋別市水産加工業協同組合が渚滑町川向のストックヤードに保管しているため、産業廃棄物として投棄される貝殻は平成初期以降、皆無である。ストックヤードは面積三ヘクタールで、同協同組合が平成五年(一九九三)に造成し、貝殻をリサイクル資源として一括受け入れるようになった。平成一〇年ころからは、農地の水はけをよくする暗渠の疎水材に貝殻が活用されるようになり、また洪水災害後の河川改修事業に三万トンが使われたこともある。

『新修紋別市史』 pp.1017~1018

 

ホタテの貝殻は紋別市にとって,重要な資源のようです.渚滑町川向は,渚滑川の北側,オムサロ原生花園の近くの区域ですが,確かに衛星写真で見てみると,白っぽいものが積まれた場所が見えます.これがホタテなのでしょうか.

 

 

それはそうとして,どうして街中にホタテの貝殻が落ちているのでしょうか.運んでいる間に落ちたというのが自然だとは思いますが,ちゃんと運んでください.

 

 

ウミネコもふもふ.ずっと鳴いてます.

 

 

セントラルホテル帰っていました.靴買っただけでもう疲れてきびしい.

 

 

行く気になったらしい.

 

2日目は紋別市街の北側,弁天町・真砂町・北浜町・落石町・潮見町を回ります.

 

つづき

(まだかけてない)