第2回紋別ぴよぴよ会・弁天町真砂町

北防波堤をあとにし,弁天岬から弁天町へと入っていきます.

 

 

北防波堤のあるあたりは弁天町1丁目だったのですが,紋別港湾事務所の前の交差点を通り,この小さい道へ入っていくと,すぐ弁天町2丁目に入ります.

 

 

家と家の間から浜と反対側を見ると,ちょっとした段差が続いていますが,これもかつての弁天岬の高さではなく,切り下げて残った痕跡なのだと思います.

 

 

道道側へと抜けようとすると,すぐ左側に児童遊園が見えます.都市公園法上の都市公園ではなく,児童福祉法上の児童遊園のようです.

 

 

ところで,紋別市都市公園条例では,都市公園に対して次のように定めています.

 

第2条の3 市の区域内の公園の住民1人当たりの敷地面積の標準は30平方メートル以上とし、市街地の公園の当該市街地の住民1人当たりの敷地面積の標準は30平方メートル以上とする。

 

市の区域内とか当該市街地の意味するところがよくわかりませんが,これが弁天町を意味する場合,児童遊園は都市公園法上の都市公園に該当せず,この区域に他に公園と呼べるものはなく,1人あたりの公園の敷地は0平方メートルということになり,条例違反になるのかもしれません.そうでないとしても,弁天町にはこの児童遊園以外に公園はないのだから,他の区域と比較しても明らかな公園不足です.紋別市は弁天町の公園整備にもう少し努力するべきではないでしょうか?

 

10年以上前のおもちゃをおいている地方おもちゃ屋の横を通り,海沿いに進みます.

 

 

海側の道に進むと,海岸まで抜けられる道がありました.

 

 

オホーツク海がとてもきれいに見えます.よく見ると,ウェンヒラリ岬が見えます.

 

 

 

海側を見ると,浅いところで波が立っている場所がたくさんあり,浅瀬の岩礁が多くあることがわかります.

 

ウェイシラㇻ [weysirar<wen-sirar 悪い・磯]。旧大洋漁業紋別工場裏の岩礁。近くのリ・シラㇻとあわせて、岩礁によって舟の接近の困難な所であったものか。のちに「ウエンヒラ」ともいわれた。

アイヌ語地名Ⅱ 紋別』 p.172

 

アイヌの人たちは,地形の特徴を地名につけがちなのですが,「悪い磯」なんて名前をつけるぐらいには,交通の困難な場所であったことが伺えます.江戸時代後期の船なわけなので,あまり沖合には出ずに,可能な限り沿岸を通って航行したいのだと思いますが,こういう浅い岩礁の多いところは敢えて沖合を通ったものと思われます.もしそうだとすると,そのような知恵が,地名を通して伝承されていたのかもしれません.

 

おそらくウェンヒラリ岬の近くまでいくと,もっときれいに岩礁が見えるような気もします.ただ,なんかいけそうにないのと,どうせみるなら潮がもっと引いてるときに見たほうが良さそうです.

 

 

鳥が死んでいて,ハエがいっぱい飛んでいました.アルトゥル川へ行く途中に見たときは,まだ目玉があったのですが,帰りにもう一度見たときには目玉がなくなっていました.

 

 

堤防と土砂です.渚滑川から運ばれてきた土砂の量がとても多いことがわかります.北防波堤がなかったら,紋別港もこの土砂ですぐ埋まってしまうわけなので,港湾整備の大切さがわかります.

 

 

アルトゥル川を超えます.堤防の下に水がながれているようで,水が流れていく道みたいなのができていました.水路が埋まってしまわないように,ブロックが置いてあったりするのが確認できます.

 

上流側を見ると,そこそこの水量があるのがわかります.すぐ横にはなんらかの工事の残土と思われる土が積まれていました.

 

戦前の紋別は,まだアイヌ語地名や開拓期に付けられた番号が字名として使われ続けており,わかりやすさのために,町内会の区分の番号が実質的に地区の名前として用いられていたようです.現在の市街地区名が定まったのは,昭和27年のことです.

 

戦後の昭和二七年七月、従来の市街地区の呼び名である区を、新町名に改めることとして町民から新行政区町名を公募した際に、一四区域を一〇区域に整理統合したのが、つぎの行政区町名と区域である。

名称 区域

北浜町 鉄道線路以東大字紋別村字渚滑原野南五号線以北北一円。

真砂町 鉄道線路以東大字紋別村字アルトロ川より渚滑原野南五号線に至る一円。

弁天町 大字紋別村字陰町通り中心より、準地方費道、紋別村字アルトロ川に至る以南一円。

幸町 鉄道線路東南鷲見西通、紋別市街平和通、昭和通を通じる線、大字紋別村オンネナイ川河口より鉄道線路に至る同オンネナイ川本流に通じる崖端より弁天町に至る一円。

本町 幸町境界東南、鷲見東通、喜楽町第一横通、喜楽町第二横通を通じる線、大字紋別村オンネナイ川河口より鉄道線路に至る字オンネナイ川本流に通じる崖端より弁天町に至る一円。

港町 本町境界東南大字紋別村オンネナイ川河口より鉄道線路に至る字オンネナイ川本流に通じる崖端より弁天町に至る一円。

潮見町 紋別公園以東鉄道線路間、紋別村字渚滑原野南五号線に至る一円。

花園町 鉄道線路以北西、大字紋別村字オンネナイ川支流、紋別公園に至る一円。

緑町 鉄道線路以北西、大字紋別村字オンネナイ川本流、同オンネナイ川支流に至る一円。

南が丘町 鉄道線路東南、幸町、本町、港町、境界より元紋別に至る一円。

『新紋別市史 上巻』 pp.437~438

 

アルトゥル川は弁天町と真砂町の境界となっていることがわかります.

 

当時は港湾拡張によりできた新港町や,人が住んでいなかった大山町は,まだありませんでしたが,大体今の紋別市街の区域は,このときにできたもののままです.

 

 

堤防のあるところは,下がコンクリートになっているのですが,そうでないところはただの砂です.普通に体重をかけると沈んでいきます.周りには誰もいないので気をつけないと普通に帰れなくなるかもしれません.

 

「工事名 紋別港真砂?????」とあります.堤防工事の際に建てられたのでしょうか.

 

 

ウェンヒラリの方ばかり見ているとよくなくて,反対側を見ると弁天岬の方まで全部見えます.きれいですね.

 

途中,きつねさんがいました.エキノコックスがどうとか,そういうこともあると思いますが,なんかかなりみすぼらしい感じがしていて,なにかの病気になっているのかもしれないなという気がしました.こんなところにいても生きていくの大変だと思います.数分にらめっこしていたのですが,途中できつねのほうが飽きたみたいです.

 

 

砂浜にはウミネコがたくさんいました.目の前にフンを落としてくるなどしてくるため,大変に楽しいです.

 

ウェンヒラリまで通り抜けようと思っていたのですが,草が生い茂っていたり,漁業関連のものがたくさんおいてあったので,諦めて帰ってきました.堤防の上を歩いて行くぐらいの強い意志を持っているべきでした.

 

 

弁天町の方まで戻ってきました.習字教室があります.

 

アルトゥル川が地上から見られるのは,河口からすこし距離の距離だけです.

 

 

写真で見ると,橋から上流側を見たときに,道道305号線の崖で道路に沿って右側に川が曲がっています.その先から,道道をくぐるように,暗渠区間が始まるものと考えられます.

 

アルトゥル川の上流は現在では潮見緑園という公園として整備されています.

 

川の北側にあるおうちの庭に花がいっぱい咲いていてきれいだったので見てたんですが,家の中からおばあさんが出てきて目があっちゃったので逃げてきました.

 

 

 

海側の道が行き止まりになっていたので,旧国道側へと抜けます.

 

 

旧国道にくると,道の反対側に大きな病院がありました.どうみても廃病院なのですが,入口までいくと,ちゃんと営業しているのが確認できました.

 

 

小林整形外科医院は,新修紋別市史によると,平成一八年時点で,常勤医師数1人全19床の整形外科・リハビリテーション科の病院のようです.紋別は高齢者が多そうだし,こういう一般病医院の存在が町の保健衛生上,重要になってくるのだろうとは思いますが,かなり限界っぽさを感じます.

 

 

旧国道を北へ進むと,すぐに北浜町に入ります.真砂町ももう終わりです.

 

 

つづき

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