第2回紋別ぴよぴよ会・イオン紋別店

セントラルホテルをあとにして,イオン紋別店に向かいます.

 

 

昨夜,靴底の爆炸裂という憂き目に会った靴を履き抱えながら,紋別の海岸段丘を登ります.

 

 

黄色のところがホテルからイオンの道のりです.水色の線が2本ありますが,オンネナイ川の本流と支流の1つです.この支流は埋められてしまっていて,現在では見えませんが,かつて川だったところ区間の一部が道路になっていたりすることから,大体の流路は推定できます.イオン紋別店は,この支流の川辺に作られたものですが,60年代の衛星写真では,家があまり建っておらず,利用しにくい土地だったことが伺えます.このような土地に盛り土をして,駐車場としたようです.

 

 

 

歩きます.

 

 

気温は別に高くないのに,湿度が高くて汗が全然乾きません.服がびしゃびしゃになります.

 

 

総合福祉センターが見えます.

 

地域福祉の向上と、人間性豊かな地域社会の形成のため、福祉活動の拠点施設として紋別市総合福祉センター「はーとぴあ21」が平成一三年(二〇〇一)一〇月に完成し、一二月に開設された。敷地面積二五二八・五五平方メートル、建物延べ面積一四二三・九〇平方メートル、鉄筋コンクリート造り、地下一階地上二階建で、総建築費は六億一六八万円であった。

『新修紋別市史』 p.943

 

割と新しい建物のようです.

 

竣工と同時に、市民集会所(旧郵便局)を活動の拠点としていた社会福祉協議会の事務所が移転、施設の管理委託を受けるとともに、町内会連絡協議会、身体障害者福祉協会、老人クラブ連合会、民生児童委員連絡協議会、ボランティア団体などの総合的な活動推進の場として活用され、施設の設置目的に沿って、各種の相談業務やデイサービス活動や学習活動の場としても利用されている。一八年四月には社会福祉協議会(大坪芳雄会長)が、指定管理者制度の導入によって、一定額の委託料を受けて管理運営に当たることになった。期限は二一年三月末までである。

「はーとぴあ21」の呼称は、「思いやりのある理想郷の実現に向けて、21世紀の地域福祉実現の施設であってほしい」という願いが込められており、「ハート&ユートピア」の言葉を組み合わせでもある。(原文ママ,「組み合わせたものでもある」などが正しい)

『新修紋別市史』 pp.943~944

 

いろんな社会福祉のあつまりが入る建物のようです.紋別市は高齢者が多い街なので,こういう施設が有効に活用されていそうです.

 

ちなみに,この紋別市社会福祉協議会ツイッターアカウントがあるのですが,今行くとこんな感じになってるみたいです.

 

 

オンネナイ川支流の縁です.

 

 

イオンはもうすぐです.

 

 

北海道は割と信号が縦になっています.岐阜県関ヶ原町でもこんな感じになっているのですが,雪がたくさん降る地域だと,信号を縦にしておかないと,雪の重みで信号機が倒れてしまう危険があります.

 

 

開店間もないのに車がたくさんとまっています.従業員のものが多いのかもしれません.

 

 

紋別山が見たいならイオンはおすすめです.

 

 

イオンに来ました.服屋に靴が売ってるらしくて,服屋は9:00開店ということでした.着いたときは9時になる数分前だったので,食料品売り場などを歩いていました.

 

9時になったので,服の売っているところに行ったのですが,靴がどこに売ってるのかよくわかりません.なんとか靴が積まれているところを見つけたので,それらしい靴を探すのですが,一番大きい靴が26.0cmで,ちょっと小さいです.

 

紋別の人は足が小さいという可能性について考えいたんですが,どうも女性用の靴売り場だったらしく,人が少なかったからよかったんですが,趣味が悪い20代男性になる可能性がありました.

 

男性用の靴が売っている場所は,比較的奥の方にありました.手前が女性向け,奥が男性向けというようにする配置になっていたんですが,イオン力が足りないので難しいと思います.

 

26.5cm~27.0cmぐらいの靴で,なんか歩きやすそうなやつを探す必要があるのですが,靴がたくさんあってよくわかりません.よくわからんので,いい感じに通路側においてあった靴をレジに持っていきました.nymwaさんも実は靴を買ったことがあるので,靴は並んでいるやつではなく,下の方にある箱をレジに持っていくという知識はありました.適当に26.5cmの靴を持っていったら,なんか明るい感じの色の靴でした.

 

 

たかいね.

 

 

中学の時から履いていた靴なんですが,このあとゴミになります.比較的長距離歩く場合は,割とこの靴を履いていて,前回紋別に来たときもこの靴を履いていました.写真ではイオン紋別店の駐車場に捨てられているかのように誤解される可能性がありますが,ちゃんとセントラルホテルに捨てました.

 

 

紋別の室内,冷房をつけるという概念が存在するのか怪しくて,すごく暑いです.

 

 

ダサくて赤いと民社っぽくなります.

 

 

オンネナイ川の支流があったと思われる場所のあたりを下りていきます.

 

 

メモリアル通りです.名寄本線が通っていたということは道の形からしかわかりません.

 

 

川が流れていた場所の道というのは形を見ればなんとなく,そんな感じがするわけですが,オンネナイ川の支流が流れていたのがわかりやすい道ですね.

 

 

現在,牛肉レポーターの仕事は息子が世襲したようですが,古いポスターの跡がまだ残っていました.息子の方は農林水産副大臣を務めるなど,着実に牛肉レポーターへと近づいているものと見えます.

 

 

ホタテ落ちすぎ.

 

ホタテの増養殖技術が確立したことで生産量が増加し、平成五年以降は年間三〜四万トンのホタテ貝が紋別港に水揚げされている。このうち約五割の一万五〇〇〇〜二万トンが貝殻で排出される。

貝殻は昭和五〇年(一九七五)代まで、南が丘町七丁目の市営ごみ捨て場、あるいはその後移転した渚滑川旧河川敷のごみ捨て場にウロとともに投棄されてきたが、一部は瀬戸内海のカキ養殖事業に使われ、市内の海岸などでは、貝殻に穴をあけ、針金で数珠つなぎにする作業風景がよく見かけられた。

瀬戸内海向けの貝殻はその後、ばらで移出されるようになり、出荷量も増加して年間六〇〇〇トン前後が広島市の買付業者によって紋別港から船輸出されている。現地では、垂下式採苗器として海中に沈め、カキ貝の幼生を付着させるが、養殖ホタテ貝にくらべ、外海に地まきしている紋別地方のホタテは、荒い海流や砂地の摩擦などで貝殻の表面がすべすべして幼生の付着率がよいため引き合いが多く、平成一八年(二〇〇六)には、韓国にもカキ養殖用として二五〇〇トンが紋別港から輸出された。広島地方では、紋別産の貝殻はカキ養殖以外に土壌改良剤にも加工されている。

このほか市内では、民間の新生産業(渚滑町川向)が年間約一〇〇〇トンの貝殻を土壌改良剤に粉砕加工している。残りは紋別市水産加工業協同組合が渚滑町川向のストックヤードに保管しているため、産業廃棄物として投棄される貝殻は平成初期以降、皆無である。ストックヤードは面積三ヘクタールで、同協同組合が平成五年(一九九三)に造成し、貝殻をリサイクル資源として一括受け入れるようになった。平成一〇年ころからは、農地の水はけをよくする暗渠の疎水材に貝殻が活用されるようになり、また洪水災害後の河川改修事業に三万トンが使われたこともある。

『新修紋別市史』 pp.1017~1018

 

ホタテの貝殻は紋別市にとって,重要な資源のようです.渚滑町川向は,渚滑川の北側,オムサロ原生花園の近くの区域ですが,確かに衛星写真で見てみると,白っぽいものが積まれた場所が見えます.これがホタテなのでしょうか.

 

 

それはそうとして,どうして街中にホタテの貝殻が落ちているのでしょうか.運んでいる間に落ちたというのが自然だとは思いますが,ちゃんと運んでください.

 

 

ウミネコもふもふ.ずっと鳴いてます.

 

 

セントラルホテル帰っていました.靴買っただけでもう疲れてきびしい.

 

 

行く気になったらしい.

 

2日目は紋別市街の北側,弁天町・真砂町・北浜町・落石町・潮見町を回ります.

 

つづき

(まだかけてない)

第2回紋別ぴよぴよ会・ホテル2日目朝

起きました.

 

 

セントラルホテルから見た朝の紋別です.昨日は雨が降っていてつらかったのですが,この時点では雨は降っていないようで嬉しいですね.

 

天気予報を見ると,降水確率40%とか書いてあってつらいです.

 

 

昨日,ふぇるぼさんと紋別市街を歩いているときに靴底が爆裂してしまったわけですが,今日はまずイオンに靴を買いに行かないといけません.

 

 

セントラルホテルの海側の部屋は多分すごく景色いいと思います.

 

 

東京じゃなければそこはもう紋別です.

 

 

ポケットうぁいふぁい民なので,スマートフォンだけ持っていってもインターネットにつながらないのですが,愚かなので,スマートフォンだけ持って行ってて食べながら写真を上げることに失敗しています.

 

 

自分が止まったのは庶民用の部屋で,他に西館というのがあって,なんかいい部屋らしいです.

 

 

朝食会場に来ました.館内はホテルの部屋にあるスリッパで移動していいらしいので,スリッパで移動しました.

 

朝食会場の入口の近くには,なんかよくわからん赤い液体が入ったやつがあって,この奥が西館です.

 

 

ジンギスカンとか刺し身とかおいしいですね.普段ろくなものたべてないのでデリシャスマイル〜しました.おこっぺヨーグルトは高いやつだよって,ふぇるさんが言ってました.

 

 

ごはんを食べたので,ホテルを出発します.靴底のない靴を履きながら,イオン紋別店へ向かいます.

 

つづき

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第2回紋別ぴよぴよ会・弁天町真砂町

北防波堤をあとにし,弁天岬から弁天町へと入っていきます.

 

 

北防波堤のあるあたりは弁天町1丁目だったのですが,紋別港湾事務所の前の交差点を通り,この小さい道へ入っていくと,すぐ弁天町2丁目に入ります.

 

 

家と家の間から浜と反対側を見ると,ちょっとした段差が続いていますが,これもかつての弁天岬の高さではなく,切り下げて残った痕跡なのだと思います.

 

 

道道側へと抜けようとすると,すぐ左側に児童遊園が見えます.都市公園法上の都市公園ではなく,児童福祉法上の児童遊園のようです.

 

 

ところで,紋別市都市公園条例では,都市公園に対して次のように定めています.

 

第2条の3 市の区域内の公園の住民1人当たりの敷地面積の標準は30平方メートル以上とし、市街地の公園の当該市街地の住民1人当たりの敷地面積の標準は30平方メートル以上とする。

 

市の区域内とか当該市街地の意味するところがよくわかりませんが,これが弁天町を意味する場合,児童遊園は都市公園法上の都市公園に該当せず,この区域に他に公園と呼べるものはなく,1人あたりの公園の敷地は0平方メートルということになり,条例違反になるのかもしれません.そうでないとしても,弁天町にはこの児童遊園以外に公園はないのだから,他の区域と比較しても明らかな公園不足です.紋別市は弁天町の公園整備にもう少し努力するべきではないでしょうか?

 

10年以上前のおもちゃをおいている地方おもちゃ屋の横を通り,海沿いに進みます.

 

 

海側の道に進むと,海岸まで抜けられる道がありました.

 

 

オホーツク海がとてもきれいに見えます.よく見ると,ウェンヒラリ岬が見えます.

 

 

 

海側を見ると,浅いところで波が立っている場所がたくさんあり,浅瀬の岩礁が多くあることがわかります.

 

ウェイシラㇻ [weysirar<wen-sirar 悪い・磯]。旧大洋漁業紋別工場裏の岩礁。近くのリ・シラㇻとあわせて、岩礁によって舟の接近の困難な所であったものか。のちに「ウエンヒラ」ともいわれた。

アイヌ語地名Ⅱ 紋別』 p.172

 

アイヌの人たちは,地形の特徴を地名につけがちなのですが,「悪い磯」なんて名前をつけるぐらいには,交通の困難な場所であったことが伺えます.江戸時代後期の船なわけなので,あまり沖合には出ずに,可能な限り沿岸を通って航行したいのだと思いますが,こういう浅い岩礁の多いところは敢えて沖合を通ったものと思われます.もしそうだとすると,そのような知恵が,地名を通して伝承されていたのかもしれません.

 

おそらくウェンヒラリ岬の近くまでいくと,もっときれいに岩礁が見えるような気もします.ただ,なんかいけそうにないのと,どうせみるなら潮がもっと引いてるときに見たほうが良さそうです.

 

 

鳥が死んでいて,ハエがいっぱい飛んでいました.アルトゥル川へ行く途中に見たときは,まだ目玉があったのですが,帰りにもう一度見たときには目玉がなくなっていました.

 

 

堤防と土砂です.渚滑川から運ばれてきた土砂の量がとても多いことがわかります.北防波堤がなかったら,紋別港もこの土砂ですぐ埋まってしまうわけなので,港湾整備の大切さがわかります.

 

 

アルトゥル川を超えます.堤防の下に水がながれているようで,水が流れていく道みたいなのができていました.水路が埋まってしまわないように,ブロックが置いてあったりするのが確認できます.

 

上流側を見ると,そこそこの水量があるのがわかります.すぐ横にはなんらかの工事の残土と思われる土が積まれていました.

 

戦前の紋別は,まだアイヌ語地名や開拓期に付けられた番号が字名として使われ続けており,わかりやすさのために,町内会の区分の番号が実質的に地区の名前として用いられていたようです.現在の市街地区名が定まったのは,昭和27年のことです.

 

戦後の昭和二七年七月、従来の市街地区の呼び名である区を、新町名に改めることとして町民から新行政区町名を公募した際に、一四区域を一〇区域に整理統合したのが、つぎの行政区町名と区域である。

名称 区域

北浜町 鉄道線路以東大字紋別村字渚滑原野南五号線以北北一円。

真砂町 鉄道線路以東大字紋別村字アルトロ川より渚滑原野南五号線に至る一円。

弁天町 大字紋別村字陰町通り中心より、準地方費道、紋別村字アルトロ川に至る以南一円。

幸町 鉄道線路東南鷲見西通、紋別市街平和通、昭和通を通じる線、大字紋別村オンネナイ川河口より鉄道線路に至る同オンネナイ川本流に通じる崖端より弁天町に至る一円。

本町 幸町境界東南、鷲見東通、喜楽町第一横通、喜楽町第二横通を通じる線、大字紋別村オンネナイ川河口より鉄道線路に至る字オンネナイ川本流に通じる崖端より弁天町に至る一円。

港町 本町境界東南大字紋別村オンネナイ川河口より鉄道線路に至る字オンネナイ川本流に通じる崖端より弁天町に至る一円。

潮見町 紋別公園以東鉄道線路間、紋別村字渚滑原野南五号線に至る一円。

花園町 鉄道線路以北西、大字紋別村字オンネナイ川支流、紋別公園に至る一円。

緑町 鉄道線路以北西、大字紋別村字オンネナイ川本流、同オンネナイ川支流に至る一円。

南が丘町 鉄道線路東南、幸町、本町、港町、境界より元紋別に至る一円。

『新紋別市史 上巻』 pp.437~438

 

アルトゥル川は弁天町と真砂町の境界となっていることがわかります.

 

当時は港湾拡張によりできた新港町や,人が住んでいなかった大山町は,まだありませんでしたが,大体今の紋別市街の区域は,このときにできたもののままです.

 

 

堤防のあるところは,下がコンクリートになっているのですが,そうでないところはただの砂です.普通に体重をかけると沈んでいきます.周りには誰もいないので気をつけないと普通に帰れなくなるかもしれません.

 

「工事名 紋別港真砂?????」とあります.堤防工事の際に建てられたのでしょうか.

 

 

ウェンヒラリの方ばかり見ているとよくなくて,反対側を見ると弁天岬の方まで全部見えます.きれいですね.

 

途中,きつねさんがいました.エキノコックスがどうとか,そういうこともあると思いますが,なんかかなりみすぼらしい感じがしていて,なにかの病気になっているのかもしれないなという気がしました.こんなところにいても生きていくの大変だと思います.数分にらめっこしていたのですが,途中できつねのほうが飽きたみたいです.

 

 

砂浜にはウミネコがたくさんいました.目の前にフンを落としてくるなどしてくるため,大変に楽しいです.

 

ウェンヒラリまで通り抜けようと思っていたのですが,草が生い茂っていたり,漁業関連のものがたくさんおいてあったので,諦めて帰ってきました.堤防の上を歩いて行くぐらいの強い意志を持っているべきでした.

 

 

弁天町の方まで戻ってきました.習字教室があります.

 

アルトゥル川が地上から見られるのは,河口からすこし距離の距離だけです.

 

 

写真で見ると,橋から上流側を見たときに,道道305号線の崖で道路に沿って右側に川が曲がっています.その先から,道道をくぐるように,暗渠区間が始まるものと考えられます.

 

アルトゥル川の上流は現在では潮見緑園という公園として整備されています.

 

川の北側にあるおうちの庭に花がいっぱい咲いていてきれいだったので見てたんですが,家の中からおばあさんが出てきて目があっちゃったので逃げてきました.

 

 

 

海側の道が行き止まりになっていたので,旧国道側へと抜けます.

 

 

旧国道にくると,道の反対側に大きな病院がありました.どうみても廃病院なのですが,入口までいくと,ちゃんと営業しているのが確認できました.

 

 

小林整形外科医院は,新修紋別市史によると,平成一八年時点で,常勤医師数1人全19床の整形外科・リハビリテーション科の病院のようです.紋別は高齢者が多そうだし,こういう一般病医院の存在が町の保健衛生上,重要になってくるのだろうとは思いますが,かなり限界っぽさを感じます.

 

 

旧国道を北へ進むと,すぐに北浜町に入ります.真砂町ももう終わりです.

 

 

つづき

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第2回紋別ぴよぴよ会・北浜町

真砂町もおわり,北浜町です.

 

 

蕎麦屋があります.

 

北浜町に入って,ウェンヒラリ岬の近くには鉄塔があり,目印としてわかりやすいです.

 

 

ちゃんと撮ってなかったんですが,この電話ボックスがあるところが,開拓期の渚滑原野南4号線の跡じゃないかと考えています.真砂町と北浜町の境界が南5号線で,北浜町と渚滑地域の境界が南3号線と考えています.

 

 

北浜町2丁目のバス停まで来ました.北浜町の端も,もうすぐです.

 

北浜汚水中継ポンプ場というものがありました.

 

昭和五五年の第五次認可変更で水産加工場が多い北浜地区や人口増加が著しい落石町、渚滑町も整備区域に加えられた。これらの区域から終末処理場への送排水には、勾配上、ポンプで圧送する必要があったため五八年(一九八三)九月、四億二二〇〇万円で北浜町二丁目の国道沿いに北浜汚水中継ポンプ場(送水能力毎分四・五トン)を建設した。

『新修紋別市史』 p.409

 

終末処理場は南が丘にあるのですが,相当な距離,下水を送水していることになります.勾配の多い紋別には,この他にも元紋別・渚滑にも汚水中継ポンプ場があり,渚滑から送られてきた汚水は,北浜中継場を経由します.

 

 

北浜町の浜は砂が少なく危険で,かんたんには入れそうになさそうです.チカプノツ岬はあまりおもしろそうでもないし,岩礁があるわけでもなく,何かが見えるわけでもないのですが,見えるところがないかと思いながら歩きました.「チカㇷ゚」が「鳥」,「ノッ」が「岬」という意味です.

 

 

東京でもこういうの見ることができますが,普通に人が出入りしていて,田舎を感じます.東京だと,あっても,そもそもやってるのかどうかが割とよくわかりません.

 

 

北浜町も終わりです.渚滑原野南3号線を超えた先は渚滑町です.今回は,ここより北には行きません.

 

 

北紋バス渚滑川沿いを登っていく系統には,新生発・上渚滑行と紋別高校発・滝上行があります.

 

上渚滑行は,新生を出た後,イオン紋別店西口を経由し,紋別バスターミナルに到着し,潮見町を通り,国道238号線の方を通ります.つまり,山側を通るルートです.

 

一方,滝上行は,紋別高校を出た後,旧国道沿いに南が丘・本町を通り,紋別バスターミナルに到着し,また,旧国道のルートを通り,真砂・北浜町を経由して,渚滑まで至ります.これは,海側を通るルートです.

 

 

紋別高校12:00発のこのバスは,定刻では13:12に滝上に到着します.ここからさらに1時間もかけて,渚滑川をのぼっていくわけです.

 

 

バスから見て左側の道,南3号線沿いに歩きます.

 

 

道北バスの基地のようなものがありました.道北バスは,札幌・旭川紋別間で高速バス流氷もんべつ号・特急オホーツク号を運行しています.

 

 

しばらく歩くと,名寄本線の跡である,北浜緑地が見えます.旧紋別町域は公園として整備されていますが,渚滑側は,かろうじてここに線路があったことが推測される程度になっていました.

 

次は,北浜緑地沿いに南へと進んでいきます.

 

つづき

(まだかけてない)

第2回紋別ぴよぴよ会・帰りの大田区

空港のターミナル間を結ぶバスにのろうと近寄っていったら,なんか数メートル離れたところで扉が閉まり,行ってしまいました.

 

 

7分待ったら次のバスが来ました.

 

 

バスに乗っていると,悲しさを感じます.

 

 

パンデミックを感じます.連日全国で10万人以上の陽性者が確認されています.何%かの人が後遺症を患うため,最終的に数百万人規模の人が何らかの不具合を感じることになるものと推定されるのですが,結核が我が国に与えた影響の大きさを知っていながら何ら行動制限を課さないというのは,厚労省はこれらの人々に十分な社会福祉を提供する用意があるということだと思われるので,大変に素晴らしいことだと思います.怨嗟で涙が止まりません.

 

 

いやひとおおすぎ.新型コロナとかいうの一生収まらん.

 

 

ということで,羽田空港はあとにして,おうちにかえります.おうちにかえるまでが,ぴよぴよ会です.

 

 

まずは大鳥居までいきます.

 

夕方で環八に沿っていくと混んでてつらいので,時間はすこしかかりますが,多摩川沿いを行きます.

 

 

 

大師橋の下を通り,多摩川の堤防沿いの道に入ります.

 

 

緑地なのかなんなのかよくわからん多摩川沿いの緑の場所を見ながら,北へ進みます.六郷地区の六郷橋をすぎると,JRや京急の橋がいっぱい見えてきます.

 

 

多摩川大橋

 

 

ガス橋

 

 

東海道新幹線が走っています.

 

 

丸子橋が見えたら,右折します.中原街道

 

 

行きで倒れた場所です.

 

 

石川台につきました.

 

 

おしまい.

第2回紋別ぴよぴよ会・ANA376便

羽田行きの飛行機が離陸しました.離陸直後はわいふぁいが使えないので,離陸してからツイートができるようになるのは,北海道を縦断して後,大雪山日高山脈を超えて,日高町のあたりに到達してからです.

 

 

離陸していきます.

 

 

離陸する動画を上げていたら日高も過ぎて,太平洋です.津軽海峡を超えています.

 

 

紋別空港は小向地域の丘の上にあります.北の方に離陸した後,右に旋回し,南西の方へと向かっていきます.眼下にはオホーツク海と海岸沿いの農地山地に点在する市街が見えます.

 

上渚滑市街ははっきりと見えます.八十士地域は,周りを山に囲まれていてわかりやすいです.この地域から紋別のゴールドラッシュは始まりました.その当時の熱気は今や何も観測されることはなく,今は農地として利用されているようです.

 

 

青森から北海道の画像を上げています.

 

 

渚滑川の上流,滝上は深い谷と芝桜の景観で知られています.雲であまり見えませんでしたが,いずれ行ってみたいです.飛行機は順調に南西へと飛行し,進行右側の窓からは,名寄,上川,旭川と北海道中央部の都市を眺めることができました.

 

 

は? 東京涼しすぎだろ.ブチ切れた.いやいいはなしなんだが.

 

 

石狩川の流域を眺めていたら,もう日高に到達してしまったなという感じで,北海道もおしまいです.

 

 

青森,岩手と来ました.雲が多く日本列島を眺めることはできません.

 

 

4月に行ったときは蔵王御釜も見えました.

 

 

福島県あたりで飛行機は下降を始めます.雲の中に入っていくので,高度が下がるのを感じることができます.

 

 

すごく眠かったです.うとうとしながら写真を撮っていました.千葉県あたりは完全に寝ていました.

 

 

参加者0人の講演会やりたいですね.講演料ただでいいですよ.

 

 

結局電波は切れませんでした.

 

 

行きも見た東京湾です.東京に帰ってきました.

 

 

羽田ですね.

 

 

飛行機を降りていきます.自分も飛行機の中から外を撮っていて降りるのが遅れたんですが,降りようとしたら,紋別タッチの人が,添乗員の人と一緒に写真を撮っていました.通路で撮っていたので,自分が通れなかったのですが,紋別タッチの人がそれに気づくと,「ごめんね〜〜〜」みたいなことを行って自分の背中を押して,再び写真を撮り始めました.そのまま降りましたが,キャビンアテンダントというのも大変な仕事なのだなと思いました.

 

 

飛行機を降りると,バスが待っていて,それに乗ってターミナルへと向かいます.サテライトターミナルではなくて,そのまま国内線ターミナルに着きます.

 

 

ちょっと前まで雨が降ってたみたいなんですが,自分が到着したときは運良く雨はやんでいました.涼しくていいですね.おうちへ帰ります.

 

つづき

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第2回紋別ぴよぴよ会・紋別空港

11:50紋別バスターミナル発,紋別空港行のバスに乗りました.紋別遠軽区間は北見バスと北紋バスの共同運行ですが,路線を共有している紋別空港線は,北紋バスのみでの運用になります.また,紋別空港行の料金は無料です.紋別空港に行かずに,途中で降りるという場合にも無料だと思うので,お得かもしれません.

 

 

バスの運転手の真後ろの席は,感染症対策のために座れないようになっていました.東京から来た我ら愚かな旅行者のために,紋別という牧歌的世界の人々が不幸の目に会う悲しい現実に直面してしまいました.

 

 

バスの中は暑かったです.眠くなります.

 

 

う〜ん.どれぐらい人が乗ってたか,もうちょっと思い出せない.何日も経つと忘れます.たしか,バスターミナルから乗ってきた人は5人もいなかったかもしれません.途中で1人おじさんが乗ってきました.それで,そのおじさんがすごく咳き込んでて,新型コロナウイルス感染症というやつかもしれないなと思いました.

 

 

南が丘も通り過ぎています.あっという間ですね.もう紋別も終わりです.東京へと引き返される感覚になります.

 

 

紋別地区は少し楽天回線が弱い気がしました.楽天は安いんですが,ドコモとかえーゆーとかと比べると弱いかもしれません.貧乏人なので楽天モバイルを使っています.

 

 

この紙切れを見せると東京まで連れてってくれます.

 

 

飛行機が30分ぐらい遅れて到着するみたいです.13:00ぐらいまで,40〜50分ぐらい時間ができました.本来は20分ぐらいしか時間がないので,空港の外をのんびり歩いていると,保安検査の締め切りに間に合わなくなるかもしれないので気をつけましょう.

 

 

いろんな大学の体育会系サークルみたいなところの人たちが,紋別に来ていたみたいで,帰っていくようです.東京はやはりあつすぎるし,普段から運動するのに向いていないのかもしれません.羽田紋別便には,こういう需要もあるのだなというのを感じることができました.この人たちは,どこで運動していたのでしょうか.そういう場所が紋別にたくさんあるのかどうかは,いまいちよくわかりません.

 

 

2階にはいろいろ展示してありました.飛行機はよくわかりません.

 

 

時間があるので外に出てきてみました.本来ならもうすぐ出発するはずの,紋別空港発・紋別バスターミナル行バスですが,紋別羽田便が遅延しているので,接続するために発車時刻も遅れます.

 

 

紋別空港の入口の方を見ると,海が見えました.時間があるので,歩いてみました.

 

 

海のサロンという建物がありました.オホーツク流氷公園の設備ということなのでしょう.トイレと水道がありました.キャンプとかでとっとした料理をすることができる,なんか少年自然の家とかにありそうな水道のあれです.

駐車場には乗用車やキャンピングカーが数台止まっていました.こうやって車中泊しながら北海道を回るような旅行者の人たちも,たくさんいるのだろうと思います.いいですね.ぼくもそういう人生やってみたいかもしれません.東京のゴミみたいな木造アパートで泣きながら生活しているのがアホみたいです.

 

週休二日制に伴う余暇時間の増大、少子高齢化、自然環境への関心の高まりなど、社会環境が大きく変化したため、道は平成一一年六月、「緑のマスタープラン」を見直し、新たな「北海道広域緑地計画」を策定して、道立広域公園の配置を六圏域一七地域一九ヶ所に変更し、目標年次を平成三〇年に延長した。

(略)

紋別市は、この道立広域公園の誘致によってフラワーパーク高層を実現しようと平成一〇年九月、遠紋地域一二市町村と議長で結成した「道立広域公園誘致遠紋地区期成会」(会長・田巻明男紋別商工会議所会頭)などとともに、道への誘致運動を積極的に展開した。

(略)

一一年(一九九九)七月、紋別市が九番目の道立広域公園適地に選定された。オホーツク圏域では網走市につぐ配置で、サンピラーパーク(名寄市)、噴火湾パノラマパーク(八雲町)両公園の配置も同時に決定した。

(略)

公園造成地は元紋別から小向のオホーツク紋別空港に至る海岸沿いで、規模は全長約三キロメートル、総面積六三・二ヘクタールに及ぶ。

『新修紋別市史』 p.394

 

平成になってから北海道の公園整備計画に則って,観光なども視野にいれた公園整備を行ったようです.海のサロンの設計がおこななわれたのは平成17年,本工事開始は18年で,割と最近です.

 

 

のんびりしていたら,もう12:40とかになっちゃっていて,13:00には着いていないとあやしいので,がんばって帰ります.

 

 

空港に帰ってきました.

 

 

いろんなところから涼しいところで運動するために紋別に人が来ているんだなと感じられます.

 

 

2階の展望台から外を見ていると,人がでてきて,着陸の準備みたいなのを始めました.

 

 

のんびり見ていると,子連れのお母さんが「来たよー来たよー」って騒ぎ出したので,南側を見たらひこうきが飛んできていました.

 

 

着陸する様子を人々が撮影していました.空港の職員の人が,紋別から来た人を出迎えるための準備もしていました.

 

あんまりのんびりしていると,保安検査場が混むので,早めに向かいます.

 

 

保安検査をしました.搭乗を待つところから,飛行機を降りる人たちを見ることができました.水筒は持ってこないほうがいいです.

 

 

紋別空港の搭乗を待つところ,感染症対策のために席が1つおきにしか座れないようになってるんですが,飛行機がほぼ満員になる際に大体全員座れるような数の席を用意しているはずなので,半分ぐらいの人が座れなくなるという頭の悪い事象が発生していました.結局の所,立っていることができる空間がかなり狭く,感染症対策としての意味はなにもなしていないように思いました.

 

また,北海道の建物だからなのか,日光を取り込む性能がかなり高く,しかもガラス張りの建物なので,すごく暑かったです.気密性も高くしてあるようで,換気も悪かったように思いました.まあ,これから帰るような人たちの感染症対策なんて知ったことではないのでしょう.とっとと東京に帰れということなのでしょう.

 

 

紋別タッチをする人たちが,保安検査を受けて入ってきます.するとどんどん混雑してくるので非常につらい.

 

 

紋別タッチする人たちがなんか騒いでいました.新型コロナウイルスを知らないのかもしれません.あるいは,マイルを貯めすぎると病気に強くなるのかもしれませんね.紋別タッチをする人たちは同じような服を着ているので,すぐわかります.

 

 

搭乗は,身体障害者が最優先です.目が見えない人が,介助者に連れられながら最初に乗っていきました.次が,マイラーのみなさんです.なんかよくわからないけど,飛行機にいっぱいのると,えらいらしいです.紋別タッチの人たちはANAからしてみたら,すごいえらい人たちということのようです.

 

紋別タッチの人たちが全員乗り終えると,平民にも順番が回ってきます.紋別タッチの人たちの近くにいたので,すぐ乗ることができました.

 

 

自分は後ろの方の席に座っていたのですが,前の方には若い人がいっぱいのっていました.運動するために合宿に来た人たちでしょう.スイッチとかいうゲーム機でゲームをやっている人がすごく多かったです.基本的に何もしゃべらずに黙々とゲームをしている感じでしたが,時折,喜んだりしていました.いいですね.

 

空席は後ろの方にしかありませんでした.後ろの方は紋別タッチの人の割合も多かったです.早めに予約して,後ろの方を選んだということなのでしょう.

 

 

紋別ー羽田便は離陸していきます.もう紋別も終わりで,東京に帰ります.

 

つづき

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